top of page

心おどる「コン・チキ・チン」京都


京都ー特に男性ーはこの時期が近づいてくると、仕事が手につかず落ち着きがなくなるとの話をよく聞きます。

そう、7月は京都千年以上の歴史を持つ伝統行事「祇園祭り」がはじまります。






この「祇園祭」は、平安時代前期に京の都に疫病がはやったとき、災厄の除去を祈ったのが始まりで、神泉苑の庭園に当時の国の数にちなみ66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄を取り除くというものです。



「祇園祭り」=「山鉾巡行」と思われる方が多いそうですが、実際は八坂神社を中心とする神事です。

八坂神社には三基の神輿があり、そのうちスサノヲノミコトが乗る神輿を清める「神輿洗式」からはじまり、17日の「神幸祭」では三基の神輿に御神霊を遷して四条寺町の八坂神社御旅所に奉安する「神輿渡御出発式」、24日には再び御神霊を神輿に移し御旅所から八坂神社に戻る「還幸祭」の神事です。



山鉾巡行よりもこの神輿が各地域を回って練り歩くさまが見ごたえがある!とのことです。

特に、八坂神社から御旅所に出発するときの祇園石段下での「差し上げ」は迫力満点だそうですので、私も兼ねてから一回は見てみたい!と思っています。



時代とともに、山鉾も規模が大きくなり、室町時代には街々に特色のある山鉾が作られるようになり、中国やペルシャなどからもたらされたタペストリーの装飾も華美となり、「動く美術館」とも呼ばれています。








応仁の乱で山鉾巡行は一旦途切れましたが、その後復活したものの、大火、大風雨に見舞われ、いくつもの山鉾がなくなったそうですが、今年は200年ぶりの悲願の山鉾ー鷹山ーが復活するそうです。


一口に復活といってもそこには何十年という時間の経過があり、そこに携わる人々のなみなみなる努力があるわけです。

鉾の設計図しかり、鉾の組み立てにかかわる技術、タペストリーなどの装飾、お囃子などは鉾ごとに違うそうです。


コロナ禍で山鉾巡行がここ2年ほど行われなかったのですが、山鉾は毎年組み立てられていました。釘を一切使わず縄だけで組み立てる伝統的な「縄絡み」の技法、太鼓や笛のお囃子も絶やすわけにはいきません。

若い人たちに伝統的技術を引き継ぐ意味でも毎年鉾が組み立てられ、コンチキチンの練習がなされてきました。

こうやって京都の伝統行事が後世に受け継がれていきます。






どの写真もコロナが始まる前に行った時のもので、;どこの街も熱気であふれてました。

私が見た山鉾は、四条界隈で、唯一生稚児が乗る「長刀鉾」、中国故事に基づく「函谷鉾」、菊の露水を飲んで不老長寿した慈道にちなんだ「菊水鉾」、中国古代の伝説「諫鼓」にちなむ「鶏鉾」、古事記による「月鉾」など、比較的大ぶりな鉾をみました。

どれも20mを超える先端に、金属の長刀や月などが飾られています。この金属で災厄を除くそうです。






丁度、ビル2階ほどの高さにお囃子担当の人々が当日座って演奏するのですが、巡行前に自由にはいって見学する鉾もあります。

いくつかの鉾にお邪魔しましたが、狭い空間でそこに人々がひしめき合ってお囃子を鳴らして炎天下を巡行するのは大変なことだと思いました。

揺れる、狭い、暑い、危険を伴うこともありそうです。

しかし、選ばれた人たちしかそこの場所に入ることはできないので、それはとても名誉なことなのだと思ます。



そして鉾ごとに違う粽が売られています。

粽といっても食べ物ではありません。笹の葉でつくられた厄病、災難除けのお守りです。

玄関の軒下につるしておくと厄病神が家に入ってこないというものです。

京都に行くとどの家も必ず玄関入口に飾ってあるのを見かけます。

ご利益もそれぞれ違うので自分に必要なものを買い求めるといいですね。



その粽に由来があったことを今日TVで知りました。

八坂神社に祭られている「牛頭天王」が旅をして、一晩の宿を求めたところが蘇民将来の家でした。牛頭天王は体は人間ですが頭は牛のように角が生えていたそうです。

蘇民将来はとても貧乏でしたができる限りのおもてなしをしたそうです。

その心遣いにとても喜んだ牛頭天王はお礼として、「今後あなたの子孫は末代まで私が守ります。目印として腰に茅の輪をつけていなさい。」と言い残して出ていきました。

その後、疫病がはやった時も蘇民一族は生き残ったそうです。






粽を作るとき、ひとつにまとめるところに使われている植物は茅です。

そして、粽には、「蘇民将来之子孫也」と書いてあるのを見かけます。



また、茅の輪くぐりのときの唱え方にも蘇民将来が出てきます。(北野天満宮)

「われは蘇民将来の子孫なり。蘇民将来、蘇民将来、蘇民将来・・」と唱えるといいとか。



今年はようやく山鉾巡行が行われるそうです。

きっと今頃は街中にあのコンチキチンの音色があちこちで聞かれることでしょう。


以前、仕事で泊まったホテルの隣がお囃子の練習場で、夜になるとコンチキチンの音色がいつまでも響いていました。

心落ち着く音色でもあり、心躍る音色でもあり、ずーっと聞いていたいと思いました。


または、コン・チキ・チンのチン!!で私に巣くう厄を払ってくれているのかもしれませんね。そうだとすればありがたいです。

閲覧数:17回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page